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TRPG関連のお話

CoC:葉山泪の後日談

ハミングがきこえる

 

プレイシナリオ:女王の卵

 

 快楽。
 身を真っ二つに裂くような苦痛を、殺してしまうまでの強いそれ。背筋に電流が走り、口端から泡のような唾液を垂れ流し、頭蓋から中枢まで染み渡るそれは、自らを保とうと意識しなければだめになってしまう程の中毒性を持っていた。
 恐怖。
 もう一つの『女王』を完成させる為に用いられた方法は、実験者たちにとっては成果を出すだけのものであったが、モルモットたちには多大なる恐怖を生み出した。彼らはモルモットの恐怖なんて想像できなかっただろうし、研究のエラーを発見し切る前に、きっと死んでしまったのだろう。
 優曇華依。
 彼は上記二つの被害者であり、その形跡は炎の中に消え去った。今も夜闇の中に聞こえる、快楽と恐怖のハミングが、頭の中に渦巻いて止まらない。これは幻聴だと言い聞かせた後も、枕元に囁かれている気すらする。

 誰も私を責めなかったのに、誰も我が身可愛さに逃げ帰ったのに、怨嗟の声がそこかしこにあるように思えてしまうのは何故だろう。
 頭の奥にいつの間にか流された、生温い汚泥が私を引き摺り込んでいく。コンクリートにしては暖かく、沼水よりかは粘質で重い。決してこの身を離さず、奥深くまで沈ませるそれが、呼吸を止めていく。しかし呼吸を止める苦痛に勝る快楽が、汚泥の奥底にある。
 何よりそれが、母の胎を思い起こさせるような、拍動と潤い、それから甘さを持っていた。

 

 父に頼み入れた時、彼は「明日は槍でも降るのか」と承諾の次に言った。暴力団の娘に生まれたのをコンプレックスに思ったことは一度もないが、親の力を借りるのはあらぬ疑いを掛けられそうでなるたけ避けてきた。それを借りたいと言い出して、彼の閉じかけた眼はぱっ、と花火でも弾けたように瞬いたのだった。
 私は鞭典病院について調べ始めた。表から裏業界に至るまで、それはもう隅々と。そうした結果私達が何か行った結果あの廃墟に連れ込まれたのではなく、単にサンプルが沢山必要だっただけということを理解する。尤も、彼…『立花夏照』は違っていたようだが。
 あの出来事は常軌を逸したものであったにも関わらず、真相の一端を掴んで納得してしまったのが溜息を生む。生体実験のサンプルは多量を要することが、確かにあるのだ。今となっては実験設備が丸ごと燃えてしまったので、新たな実験に対する対策は取れないものの暫くの平穏はあるだろう。この内に組員で鞭典病院に入院歴のある者のカルテを処理させるよう願い入れる。それから、知人だけでも一人警護を付けてもらう様にも。
 この時の私の働きようは凄まじかったらしく、父は『やっぱり極妻にならんかね、お前程のなら引く手数多だぞ』などと言っていた。私は一度失恋して以来失恋が恐ろしいし、誰かと歩調を合わせられる気もしないのでせめてお見合いだけでも、と言い出す前に丁重にお断りしておいた。父は非常に悲しそうな表情をしていた。

 さて、現状できそうなことは済ませて、病院跡地に簡単な慰霊碑を設置しておくことにした。暴力団が作った慰霊碑、ということは調べられれば解ってしまうだろうが、それでもないよりかは良いと思う。
 どれだけの人が死に、孵化し、食われたかは分からない。それでも建てないでおかずにはいられない。そういう理由だったような気がする。
 青空の下にぽつりと備えられた大理石。鎮魂の言葉と、わかる範囲での死亡者の名前。杏智也、間暮我樹里亜、優曇華依。偽善と言われても仕方ないが、誰も知らない殺人に、葬いは要らないと言われても頷けないのが理由だ。こういう部分でも、父の職業とは相容れない。
 しかしこの程度のことしかできないのだ。
「……なっさけねえなあ、何で私じゃなかったんだ」
「まだあいつ若かったのになー。しかも事情が事情だから話せねえし、……」
「記憶に残しとくので本当に葬いになんのかねー」
 勿論、返答は何処からも帰ってこない。ひとりぼっちの焼けた原に吹き抜ける風は、春の陽気を乗せている。本来心躍らせる行楽日和の天気は、しかし私にぽっかりと空いた穴を通り抜けるばかりだ。
 何故私は生きて此処にいるんだろう。
「…………あー、生きてる。どーしようもなく生きてんなあ」
 手を握って、それから手を開いて、日に照らして。薄く透けた赤色が、正しく肉に血を通わせていることを示している。もう奇妙な眠気も快楽も、この身体には存在していない。
 これまで奇妙な事象に巻き込まれることはあれど、人が実際に死んでしまう程のことは経験がない。だから実感が湧かないし、もしかしてうどんはまだ生きてたんじゃないか、と思ってしまう。目の前で死んだのに受け入れきれない自分に、笑えるくらいには呆れた。
 目を閉じれば、泥とハミングがゆらりと脳裏に浮かんでくる。これはきっと、私がまだ依をどうにかすれば救えたと思っているからなんだろう。しかし死んだ者は戻らない。そういうものなんだ。シノや浩輔、夏照が死なずに済んだことを喜ぶべきなんだろう。
 それを受け入れることの難しさを思い知りながら、慰霊碑を後にした。

「まだハミングが聞こえんなあ、そんなに気持ちよかったかね」

 苦痛を打ち消す程の快楽でさえあまりに人間に適合しているのが恐ろしい、麻薬の様な卵のうたごえ。
 しかしその空耳に優曇華依は存在しなかった。