のけものけもの
救われてしまうから優しくされない。
プレイシナリオ:残夏に啼く
「酷いものを見た筈なのに覚えてないと。 中々面白いことを仰る」
「……油井くん、どうやってここまで」
「親切な圭がけろりと吐いた」
彼女が縁を切ってしまおうと、部署やらアドレスやらをすべて処分した相手は薄い笑みを浮かべてそこに立っていた。無論僕のことだ。
彼女がどうしてあの嘘を吐けない男が情報を漏らさないと思ったのかは、いつかしっかり聞き取るとして。
白く清潔で、有象無象を殺す匂いが漂うこの場所、彼女は窶れた頰を膨らせて僕を睨んでいる。思ったより元気そうで何よりだ。そら見舞いだと鉢植えのシクラメンを窓際に置いてやると、非難の目がこちらに向いた。即座に理解してくれるだなんて聡い人だ。
「何の用事?」
「君の経験した事を糧にしたいと思って」
「貴方、暫く見なくとも寸分の狂いもないわね。 面も、性格も」
「ひどいな。 前みたいに、敬って接してはくれないの」
口端が釣り上がってるのを、彼女の瞳越しに確認するより早く感覚で知る。相対的に彼女はその色をどんどん陰らせていくが、その顔が此方をつけあがらせるのだと、彼女は思ってもいないんだろう。
エネミーとしての殺人鬼など、想像を捏ね混ぜればそれらしいものを量産できる。求めているのはそんな安いものではなく、このように人間の面をした非道だ。その点で彼女はモデルとして大変優れており、取材不可能な状態にするには大変惜しい。故に、彼女を活かさず殺さずにしておかなければならない。
それに、彼女が殺人鬼であるという事を気紛れに漏らしかねないのも僕くらいのものだ。だからこそ彼女は口を開かざるを得ない心理状況になるし、
「貴方って本当に怖いもの知らず」
僕の背中をもう一度抉り、今度こそ喋る命ごと奪われかねない。彼女とのやり取りの中では、常に己の命は不安定であるのだ。それが殺人鬼というモノに接するということであり、また僕にとっての刺激だ。
深い溜息を吐いて、彼女は口を開く。勿論、メモと傾聴する耳は既に用意している。
「……死のうと思ったの。 全部嫌になったから」
「君は強者の方なのに?」
「だから嫌なの。 貴方は解ってる癖に詰めるから嫌い」
侮蔑と諦め、書き記すのであればそんな言葉。よく喋る目はただ一心にそれを僕に浴びせる。
確かに僕は彼女を猛獣扱いするし、彼女は其れを嫌う。しかし僕の対応は至極普通のものであるどころか、酷ければ泣き叫びながら殺されることもあるだろう。彼女はそれが嫌で普通にしているし、フィクションのように殺し屋などはしない。彼女は普通で居たいのだ、そんなことはとうの昔から知っている。
ただそれでは僕が満たされない。拠り所になるのは僕の仕事じゃないし、毒気が消えていっては堪らない。
世界が彼女に優しくあってはならないのだ、彼女が大罪人である故に。
「それなら、どうして君は生きてるの?」
「……多分途中までは上手くいってたのよ。植物状態になるくらいだもの」
「それもそうだ。 じゃあもう一度自殺したら?」
「それは、」
急に恐ろしくなったのか、肩が竦むのが見えた。ああこうやって人間のふりをするのが彼女の魅力の一つなのだ。僕の口元が緩んだのをどう捉えたのかは知らないが、うんざりした様子で睨め上げられる。
「できないのよ、自分で望んだことだもの」
かたりと手元が震えたのを見てしまい、口を結んでいられない。
人真似なんて辞めてしまえばいいのに。きっと彼女自身もそう思っているだろうが、やめられないのだ。これではきっと普通の幸せを掴んだとしても苦しむのが目に浮かぶ。何処までも危うくたなびくのが続いている。
僕は口元を押さえてそうか、とだけ言った。出来るだけ可笑しそうに、出来るだけ同情を滲ませないように、僕が蜘蛛の糸に幻視されないように。
「……ねえ、もういい? 話すのも嫌なのこの話」
「いいも何も、覚えてないならどうしようもないでしょ」
了承を得て、彼女は病床に顔を隠した。視線が外れたということは、一先ずこの間は死ぬことがないということだ。帰るタイミングとしては今だろう、態とらしい溜息を一つ落として、帰り支度をする。
「連絡先、AirDropで入れておいたから」
返事はない。僕も求めてはいない。
ベッドに視線を向けたまま病室のドアに手を掛けると、白い布団の隙間から杏色の目がぎらぎらと光っているのが見えた。かち合ったそれを逸らすことなく、白いスライド式の扉を閉めていく。