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TRPG関連のお話

冴ゆる夜の猫

 

吸聖ふせで書いたアレ

吸血鬼と聖女になる前のあの子(@sinna_gsousaku)

 

 

 華やかなる倫敦であろうと、少し中心街を外れれば貧富の差が明らかになってしまうことは変わらない。不衛生な路地には鼠が走り、偶に車が通れば濁った汚水が外套に跳ねてくる。彼はこのような場所を歩くことを嫌ったがしかし、その区域がある故に生命の維持が容易く、否定することはできなかった。

 人を殺すほどに血を吸う気などはないのだから、お互いの生命維持を目的とした協力とでも思って欲しい。それが彼の論だ。実際人間は金が無ければ飢え死ぬか刑罰により弱って死ぬし、彼は人間の血液以外での生命維持は不可能だ。だから咎められる理由などないのだと、彼本人の弁である。

 彼、ラーウィン・レクは300余年を生きる吸血鬼だ。化物であるのなら人など簡単に手篭めにして血を啜りそうなものだが、それをしないのはひとえに社会のルールに則っているからである。何をするにも金がいるのだと、下手な人間より知っている。怪しい人物だとしても彼を受け入れる人間がいるのも、ルールに則っているからに過ぎない。

 塵や汚水の水溜りを慣れた様子で避け、ラーウィンは路地裏にある一つの扉に入る。それは表札などなく、また誰かの家の裏口にしては大きな扉で、また周囲が汚れていた。

「来たか旦那」

 ドアベルが鳴り、吊り下げられた肉を掻き分けてラーウィンを出迎えたのは顎髭を蓄えた中年の男だ。垂れ下がっている目が好奇の視線を向けているが、彼はそれをあからさまに手で遮り、今日はと用件だけを告げる。

 ラーウィンは、ここへ食事を摂りに来ている。この人相だけなら彼よりも余程怪しい男は、物乞いや男の店に入ったこそ泥を捕らえては一晩の食事として提供している。それを知っている貧民達などは、男の店では人肉を卸していると専らの噂らしい。

 風評被害よりも金銭を優先するあたりも浅ましいと、気位の高いラーウィンは蔑している。

「ガキがコソ泥に入って来やがったんだ。 ハムを200g、ふてえ奴だよ」

 男ががさつに掴み上げた物体が呻き声を上げる。それは犬猫などではなく、煤けた赤髪の少女であった。かちり、ラーウィンと目が合うと少女は震えて、小さく何事か呟き始める。命乞いか、それとも祈りか。彼はそれにさしたる興味を持たない。

「子供だからと畜生を扱うが如く摘むな。 降ろしたまえ」

「へいへい、相変わらずだねえ旦那は」

 どさりと乱雑に少女の身体が床に落ちる。彼女はその衝撃で骨でも折ってしまうのではないかと思うほどに細く、またおずおずとラーウィンを見上げた瞳は怯えきっていた。似た瞳の色は離れず、ややあって彼が鼻を鳴らして背けた。

「別の人間にしろ。 この子供は栄養に事欠きすぎている」

「今日はそいつしかキープしてねえぜ、旦那」

「ではその子供の損害賠償金は私が払う。 それで貴方は問題ないだろう」

「……」

 男の顔色が少しだけ曇り、好きにしろとだけ告げてその場を去る。鉄扉の閉まる音が大きく響き渡り、少女の肩が跳ねたのが見える。

 静まり返ったその場にはラーウィンと少女だけが残された。未だ震える少女をよそに、彼は溜息を吐いて一人ごち少女を姫抱きにする。想像以上に軽い質量に眉を顰めている彼を、少女は何が起きているか分からない様子で見上げている。

「あ、あの」

「大方、腹が立ったから痛い目を見せて憂さ晴らしをしようと。そんな所だろう……ここを使うのも今日限りだな」

「降ろして、くださ……」

「足が震えている癖に降ろせとはおかしな話だ」

「ひゃっ、」

 混乱をよそに、少女は悲鳴を上げた。それは宙に浮く身体へか、それとも体躯を支えるラーウィンの手の、布越しですらわかる冷たさか。

 有無を言わさぬ様子でラーウィンが扉を開けると、暗い夜道をガス灯の橙色が優しく照らしていた。そのまま外へ出ると、冷たい風が吹いてくる。まだ降ろされる気配はない。

「今日の物乞いの成果程度はくれてやる。後は修道院にでも頼るが良い」

「ま、まだ降ろしてくれないんですか……?」

「明るい場所を歩きたまえ。 人買いに捕まっても私は責任を負えないぞ」

 凍風を肌に感じてはいたが、少女は外套に覆われて然程寒さを覚えなかった。そのうち衣服に包まれた中から香油のような匂いが漂い、気が抜けたのかうつらうつらと微睡み始める。

 要するに、安全そうな地点まで連れて行かれるのだ……ということが、意識の薄れゆく少女に理解できるかはさておいて。

 ゆらゆら揺れる黒い外套は、彼を殺さぬ光へと進んで行った。