勝ち逃げ
かっこわるい
プレイシナリオ:ベスト・エンド
朝6時、父さんと母さんの喧騒で目が覚めた。
俺は早起きな日でももう少し遅く起きてくるのが普通だったから、珍しいことだと思う。しかしそれを不思議に思わない程には、何故か嫌な予感が止まらなかった。平静を装ってゆっくり下へ降りていくと、父さんと母さんは見たこともない顔で俺を見た。
二人の手には金色に光る何か。二人揃って狼狽した表情で、『嫌な予感』は確信に変わる。心臓が馬鹿になったかのように煩い。両親の言葉の先を聞きたくない。けれど、俺の腕は耳を塞ごうと持ち上がることができない。
やけにゆっくりと、母さんの口が動いたような気がした。
「英、誠知らない?」
俺には、歳の離れた兄がいる。父さんの連れ子って奴で、母さんは俺と違う人。勉強の得意じゃない俺と違って、優等生で模範のような人間。大抵の人は、俺の兄のことを嫌わない。
俺はそういう所が何となくキライで、あんな奴に劣りたくないとも思っていた。だがあのクソ兄貴はそれすらもニコニコ笑って俺の成長がどうだと抜かし、また俺より先に行くようないけ好かねえ奴だった。
それが滝沢誠という男だ。
「……フツーさ、人徳的な問題で俺より早く死ぬなんてあり得ねーよな」
「ちょっと英、コードズレてるとかいうレベルじゃないんだけど」
頭に物理的な衝撃が入る。拳骨を俺の頭上に降らせたのは君嶋ひかる、今話題のシンガーソングライター……もとい、小学ん時からの同級生。
「あのさ、こういう時くらい無理して付き合わなくていいよ?」
「約束は約束だ」
「ジャマだって遠回しに言ってるのがわかんないかな」
少し苛立ったのでひかるの方を見ると、両親のそれとはまた違った意味の、見たことないような顔をする。俺の足りない語彙力で言うなら、見てはいけないものを見たような顔、だ。
「……せめてちょっと休憩してきなよ」
いつのまにか手に持っていたベースが、ひかるの手に渡ってそのまま壁にもたれ掛けさせられている。そのままひかるが動こうとせずに俺を見るので、仕方なくスタジオを出る。
そんなに俺は酷い顔をしていたのか。俺はあのクソ野郎の事を心配する理由なんてないはずなのに。
通路に備え付けられた自販機に、小銭を入れてコーラを買う。
排出孔から缶を取り出して、人気のない階段まで逃げる。
誰にも顔を見られてはいけないような気がした。
「……クソ」
別に家も俺も金に困るほど貧乏してたわけじゃない。俺が一方的にあの野郎を嫌っていたのなんて、物心ついた頃からずっとだ。あの野郎が何かに悩んでいた節なんて心当たりがない。人に恨みを買われるような奴でもない。
なら。
一つしかない心当たりが、俺にはどうしようもないことだと分かっていても、考えずには居られない。
俺はまだあの野郎に勝てたことなんてない。だから、勝ち逃げされたなんて思いたくない。
きっと何処かで。
「クソが!!!」
希望的観測。
細かいことを考えない頭に、そんな言葉が浮かんだくらいには馬鹿げてる。心当たりが間違っていないのなら、とんでもなく脳天気な考えなことくらい分かっている。
しゅわしゅわと気泡の弾ける音がして、多分10秒くらい遅れて缶が転がっていることに気付いた。中身のコーラは無事では済まされないだろう、現に開け口から多少漏れ出している。
もっとマシな行動は取れないのか。
短絡的な自分の頭に嫌気が差す。漏れた分はそのままに、コーラの缶を持って座り込んでいた階段を登る。踊り場から見える外は、徐々に暗くなっていた。
重たい鉄の扉を開けば、あのクソ野郎が驚いた顔してこっちを見る。
そういう幻を見た。
先客がいたらしく、びくりと肩を震わせてこっちを見た。ショートカットのお綺麗な顔をした奴だったので、おおよそひかるの知人か何かだろう。仕事柄とでも言うのだろうか、アレはなかなか顔が広い。
すんません、と一言声を掛けてそいつと離れて陣取った。運悪く、額に冷たい雫が落ちる。ふと見上げれば空が嫌に曇っており、どうやら一雨来そうだった。
ひかるに「一雨来そうだ」とメッセージを入れておき、改めてコーラを開けるや否や、顔面にコーラの噴水を浴びる。そういえば何も対策をしていなかった。ベタつく顔を袖で拭いながら、一雨降るのを待ち遠しく思う。
「あー、湿気っちゃう」
先客が声をあげた。見ればそいつは煙草を吸っていて、湿気るというのも多分それのことだろう。端に見てまた視線を戻すと、逆に足音がこっちに近付いてくる。
「あげる」
「うぉっ!? げ、ふっ」
つい振り向いてしまった。気の抜けた口元に煙草が無理くり差し込まれる。コーラの甘味とそれの苦味が混ざって口内が気持ち悪い。というかそれ以前に、吸い方がわからずに噎せる。
一言文句を言う前に、そいつはさっさと出口へ向かっていた。
「ごめんね」
誰に謝ってんだか誰に重ねてんだかも知らねえが、呟いていった。
俺も失礼ながら、そいつにあのクソ野郎をダブらせてしまって、それ以上の言葉が出なくなった。
ぎこちなく咥えたまんまだった煙草を離して、残っていた煙を吐いても特段なんの感情も湧かなかった。こんなものを吸ったところで、あの野郎から勝ち星をもぎ取れる訳でもない。そう思ったら一周回って苛立ってきたような気さえしている。
要は自分の感情を認めたくないだけだということを、誰かに言える筈もなかった。