鏡面
ずれた鏡が割れた
プレイシナリオ:スワンプマンは誰だ?
「いい? あんたみたいな子、やめたって此処は回っていくのよ」
捨て台詞と共にバックヤードから去っていく、私に当たりが強い先輩の背を眺めていた。
最初こそどうしてと思っていたけれど、割とすぐに人の関心を奪われるのが怖いんじゃないかと思った。どうやらあの人にとって、私は驚異であるらしい。私の何かが、あの人を脅かすらしい。
あの人の兄である店長は、いつもごめんなとしか言わなかった。翌日店長の顔にはガーゼが充てられていた。
別に、私のことが気に入らないのはどうでもいい。ただ、自分を大切にしてくれる人にさえ不当な扱いをするから、生きづらそうな人だと思う。
あの人はつい先日亡くなった。遺体の状態は、血と肉で出来た泥というような物質で、ちょうど盛華市という所でそういった物質が一斉に出来上がる事件が起こっていた。つまるところ、あの人は恐らく盛華市で起こった何かしらの事象に巻き込まれたらしい。何方も私は見ていないから、断言はできないけれど。
どうしてか葬儀は行われなかった。店長の性格なら、密やかにでもやりそうなことなのに、アルバイター達を集めて亡くなったと告げるのみに終わってしまった。そのまま普通にお店の営業を始めてしまって、あの人の積み重ねに意味はなかったのだ、と感じる。非情な話だと思う。
誰がどう見てもあの人は私のことを嫌っていたけれど、私は特に関心がなかった。だからこそ受け流せて、気にすることはなかったのだと思う。例えば藤頼の部下であるあの人たちにそんな態度をされるのなら、正直自信はない。
きっとそれがあの人を逆上させて、行為はエスカレートしていたのだろうけれど、特に辛いとは思わなかった。
あの人の本名が『赤碕汐乃』だということも、亡くなってから初めて知った。
ある日、店の裏に墓石が設置された。
私があの人の名前を知ったのも、この墓石のせいだった。店長の名前に寄せていて、綺麗だなと思う。
翌日、花だけは添えておいた。線香の匂いは、ここでは宜しくないんじゃないかと考える。
店長が偶然それを見ていて、驚いた顔をする。この人は私が、あの人を恨んだり、小馬鹿にしていると思っていたのだろうか。
「……黒田」
「あの人は私のことが嫌いだったかもしれませんが、私にとってキャンディさんは先輩です。 先輩に花を供えることが、おかしいことでしょうか」
「いや、……ありがとうな」
店長にとっては、この感情のない花も好意として受け取ったようで、ほっとしたように笑う。店長はきっと、あの人がどれだけ非道だと評価されようがあの人を愛していたのだろう。徐に墓石へ手を置いて、悲哀と安堵の表情をする。
「ごめんな、誰がどう言おうと、俺にとっては大切な妹なんだ。どれだけ頭のおかしい奴だろうが、それだけは」
ほたほたと泣きだした店長を見て、すこしだけ、あの人が羨ましくなる。
それからは滞りなく日常が廻っていく。
店長は相変わらず林檎のお料理しか作らず、バイトのメンバーはみんな優しい。藤頼は日月さんに絡んでは嫌がられるし、奥山さんはたまに会ってはナンパごっこなんかしてくる。私も変わらず、視線は坂倉さんを追い続ける。
ただこのルーチンの中から、キャンディさんの虐めが消えただけ。苦痛に思っていなかった分、日常に僅かな空白ができた気がして首を傾げる。私にとってあの人は、惜しむ人などではないはずなのに。
私はあの人と、どう在りたかったんだろう。
そう思いながら、店の裏に出ると誰かが居た。花を持っているのが見える。多分、女性。今時の女性は着ないだろうモッズコートに、不審者を警戒する。
しかしその人は、墓石の横に添えられた花と私を見て、口を開く。
「何だ、あの人にもお参りしてくれる人いるんだ」
その表情はぱっと明るくて、声は可愛らしくて、歳は私より少し上で。けれど全部知ってるみたいな口調で私に話しかける。
「……まあ、あの人は気に食わないだろうけど」
「ど、どうしてですか」
「だってあの人、幸せそうな人・自分より可愛い女の子は大嫌いでしょ?」
「貴方は、」
「んー、汐乃さんの友人?」
ふふ、と笑って見せるその人はひどく無邪気で、私は毒気を抜かれてしまった。彼女は気にせず持ってきた花を、鼻歌交じりに供える。あの人が好きそうな柔らかいピンクの花が、ぱっと墓石の横に咲く。
友人があの人にいるのは失礼ながら想像できない。けれど、あの人をある程度知っているのだろうということは、これで察することができた。
彼女はにこにこしながら、また話し始める。
「あなたは汐乃さんのこと、好きだった?」
「いえ、別に」
「やっぱり~? あたしもそう!嫌いでもなかったけどね」
「では何故花なんて、というか何故ここにあるのを知って」
その笑顔が少しだけ曇って、また笑い直して、彼女は躊躇う。沈黙は日暮れをやけに早めていく。
私は彼女の出した答えに、どうしてか妙に納得してしまった。
「あたしはもしかして、汐乃さんになっていたかもしれないから」