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TRPG関連のお話

骸を辿る

2回目の沼が終わったので書きました

 

でうぞと楽満とときどき根間儀

 

 

 姉さんは交通事故で死んだ。車に撥ねられたくらいで人は呆気なく死ぬ。遺体の損傷は軽微なものだったけれど、冷たい頬に動かない唇はおれに事実を突きつけるには十分だった。
 これは、3年くらい前の話になる。ふと思い出したこの話には噂が続いていた。
 曰く、「姉さんの遺体は行方不明らしい」。

 

 

 

 

 

 これをおれに告げたのは、姉さんが結婚する前に姉さんを愛した男だった。彼は愛ではなく崇拝だ、と軽く流していたが、姉さんの遺体の話をするその目は一筋の光もなかった。しかしこの男が姉さんと幸せになっていればよかったのかと言えば、おれには答えが出せない。
 男はおれの遠い先輩に当たる人だった。芸術家とは大抵何処か頭のネジが外れているものだが、この男は指折りに外れている。暴力などは振るわないものの、イマイチ倫理に欠けている。現在となっては幸せになって欲しいからという理由だけで半ば無理矢理結婚しているが、愛だ恋だの燃焼物はそこに存在していない。姉さんがこうならなかったのは、姉さんを心から愛する金持ちの男がいたというだけだ。何とも恐ろしい話だと思う。
 姉さんの旦那にはたまに会っていたが、いつ何時会おうとその表情に血色はなかった。姉さんをどうであれ愛していた男なのだから、当然と言えばそうなのだろう。窶れて草臥れたその顔が、無理に笑顔を作るのが痛ましかった。姉さんの墓に立ち寄って、貴方は愛されていたよと告げた。

 

 姉さんの遺体がない、という話を明確に聞かされたのは、2年前沢山の人間が血混じりの泥肉になって消えるという大事件の後だった。その頃丁度、姉さんの嫁いだ樋井の音楽スタジオ跡地が燃えて無くなるという小さなニュースをやっていた。
 「お前には告げようと思ったが、旦那に口止めされていてな」。そう語るのは従兄弟の根間儀礼、おれや先輩の男が個展などの時にお世話になっている男だ。無愛想な表情の一部である目は、ひたすらに感情がないように見えたが、果たしてどうだったのだろう。
「……樋井生月は?」
「知らねえ。ただ、あそこが燃えたのはおかしいんだ。倒壊してんだから」
「おう」
「だからお前と、五月蝿いからお前にも教えた」
 指をさされた先輩の男、楽満勝介はにっこり笑った。腹底で一体何を考えてるんだか分からないが、どうも虫の居所は良くなさそうである。きっと礼がこの事を喋ることになったのは、この男の圧もあったのだろうと、分からないなりに考える。
 曰く、この従兄弟は少々特殊な会社に勤めている。その繋がりで調べさせた所によれば、あの樋井邸自体あまりいい噂は無かったようだ。遺体がないことと関係あるかもしれない、と礼は言った。おれはそんなことあるはずがないと思ったが、楽満さんはそうなのか、と特に疑問を投げず納得した。流石だなと思ったあたり、おれもこの男の異常さには慣れたらしい。
 樋井生月。
 姉さんと幸せそうな笑みを浮かべて結ばれたこの男は、ピアノなんかを弾く音楽家だった。当然家は裕福で、本人の才能もありそれで十分に食べていける家庭。だからおれも、あっさりと姉さんを見送った。真っ白なドレスに着飾った姉さんは、さながら天使のようだった。
 それが真っ赤に汚れた普段着になるまで、そう月日は要しなかった。前述した通り、それで一番のショックを受けていたのは樋井生月だとおれは思っている。
 しかし死んだものが蘇る筈はないのだ。少なくともおれは、そう考える。もし姉さんが蘇ったとして、おれに会いに来ないはずなんて、ないのだから。
「じゃあ、樋井邸に行こう。俺も偶には人物画じゃないものを描きたいし」
「目が笑ってないぞ楽満さん」
「まあまあいいじゃないか、お前だって気になるだろ?」
 邪気のない笑顔が尚更恐ろしい。しかし、その提案を断る理由なんておれにはなかった。いつも持ち歩いているスプレー缶の入った鞄を持って、立ち上がる。礼は俺を一瞥し、「行くのか」と独り言のように呟いた。
「俺の方でも、少し調べてはみる。けれど、後悔しないか」
「何でだ」
「遺体の紛失をわざわざお前には言うなと言っていた人間に、一辺の後ろめたさもないと思うのか」
 礼の、同じ人間とは思えないグレーの目がおれを見る。呆れを滲ませた様子に、おれはそんなにおかしなことを言っただろうかと首を傾げる。
 実の姉の遺体なんかを回収して、気にするなと言われても無理な話なのだ。まあ、心配してくれているのだろうと前向きに考えることにして、大丈夫と言ってみせた。
 礼はそれ以上何も言わなかった。

 

 

 

 盛華市という場所に樋井邸は建っている。その地は、前述した血泥の大量発生した地域であり、人気はなく風は気味の悪い生温さをしている。
 樋井邸の庭は雑草が少し伸びていた。前に訪れた時はきちんと整備されていたあたり、今はそういった人間がいないのだろうと考える。
 ここまで車を出した勝介は屋敷を見回しては写真を撮っている。後でこれを見本に絵を描くらしい。
 空気を吸い込んでみれば、屋敷の方面から僅かに異臭がする。音楽スタジオが燃える前はあまり屋敷に寄ることはしなかったが、あまり良くない噂のうちのひとつにその異臭はあった。
 しかしそれはあまり重要ではない。あの家には『奥さん』たる存在がいたということの方が、余程ウェイトを占めている。あんなに傷心していた樋井生月が、すぐに姉さん以外の女性と仲良くできるような様子であったとは思えない。
 ……あの従兄弟が寄越してくれた情報は他にもあるが、あの男、本当にただの金持ちなのだろうか。
「奥さん、とやらはまだ生きてる?」
「大半が死んだって言うからなあ、怪しいな」
 楽満さんはカメラを鞄に仕舞って、樋井邸の玄関を開く。途端に漂う異臭が強くなり、思わず顔を顰める。
 そこにあったのは、潰れた肉塊としか形容できないモノ。一体どのようなことをすればこのように潰れるのか、想像が付かない程にあり得ない形へひしゃげていた。
 しかしその肉塊が人間の形をしていることは見るだけで理解できた。
 頭であったであろう部位から引かれた、鮮やかな赤。
 姉さんと同じ髪色。
「……まあ、全部見てみない限り何も断定できないだろ」

 

 楽満さんはそう言って靴を脱ぎ、家へ上がっていったが、おれは暫くその場に立ち尽くすことになった。