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TRPG関連のお話

にせの骸

 

あのこのじごく

 

骸を辿る - stereoTV から読んでください

 

 

 姉さんとその夫である樋井生月が暮らしていた家は、数日前まで誰かが住んでいた形跡があった。冷蔵庫に食材は入りっぱなしだし、ゴミ出しがされた形跡がない。つまり、樋井生月はつい数日前まではここにいた。
 勿論家自体は無人だが、そこらじゅうに設置されている芳香剤は減り切っていない。何なら生ごみのカスが排水溝に残っている。
 ここまで生活の気配を感じると姉さんもひょっとしたら生きてるんじゃないかと期待を持ちそうになるが、応接室を見てそれは幻想だろう、と感じることになる。
 ありとあらゆる『角』を消された部屋に、ぽつりと存在するティーカップの残骸。そのティーカップにコーヒーのしぶは付いていない。
 樋井生月は、確実におかしくなっていた。
「何だこの部屋」
「気が狂ってるな!」
「言いながら写真を撮るな」
 他にも異常はあった。そこら中に設置された芳香剤、焼け焦げた地下室、異臭、天井裏の血溜まり。この屋敷に何かがあったことを察するのは容易だ。
 しかしそれをにこにことして写真に収める楽満さんもまた異常だと、今では思う。
 芸術家は変わり者が多いとはよく聞くが、いずれはおれもこういう部分が出来てしまうのだろうかと思うと少し怖くなった。
「まあ、何かしらの『真実』が書かれているとすれば、ここではないだろう」
 廊下に繋がる扉を見ながら、楽満さんはそう言った。

 

 

 

 既に誰かが入った形跡のある二人の私室を見て、纏めればこうだ。
 樋井生月が姉さんの死を嘆くあまり、恐らく未知の存在であろうものに知恵を求め、姉さんそのものを作り上げようとする。
 しかしそれは姉さんの形をしていても、中身まで姉さんそのものにすることは出来ず、更には何かしらの脅威に狙われることになり、あの不気味な応接室に細工をする。
 『奥さん』と呼ばれていた存在は、生月が召使として置いたらしい記憶の伴わない姉さん。
 召使の姉さんは、確かにおれの知っている姉さんじゃない。

 

「予想以上だな!」
「……気持ち悪い」
「そうか? 俺は生月の気持ちが分からないでもないぞ」
「じゃあ、楽満さんは許せるの」
「それとこれとは話が別だ」
 にこやかなままそう言い放つこの男が分からない。怒りをぶつけるべき相手の行方も分からない。
 八つ当たりで姉さんの部屋の本を全部抜き去った。あの男を学ぶ為に買ったであろう音楽の本も、召使の姉さん用に備えられたであろうマナー本も、姉さんとあの男が仲睦まじくしていたアルバムも、全部出して、散らかして、意識の遠い所でおれの声が聞こえて。
 いつの間にか一冊の手帳を手にしていた。
「?」
 召使の姉さんのそれとは違う、ぼろになった手帳。記憶にある姉さんの手帳そのものだった。
 勿論手帳なんてプライベートなもの、おれは中身を見たことがない。だからこそ何か重要なことが書いてあるんじゃないかと思って、手帳のホックをぱつりと外す。
 途端広がる走り書きの文字は、おれの良く知る姉さんの字そのもので、何だか感慨深い。やっと姉さんそのものに触れているような気がして、嬉しくさえなった。
 あの男と知り合った当時の連絡先や、おれの作品を初めて見た時のこと、おれが夜中出歩く愚痴、当時の仕事のこと。
 そこで止めておけば良かったんだ。

 

『いつまでこの人と幸せに暮らしていけるか分からない』
『伊澄は渡さない、■■■にも、あの家にも』
『私は何も悪いことなんてしてない』
『あの男に任せるのは少し不安』

『ごめんなさい、愛してるわ』

 

 

 

 着信音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 


 確かに私が盗んだわ、と美しい女は白々しく言ってのける。強い煙草の煙と、所々にある物品が彼女もまた異常だとおれに告げる。
 着信は根間儀からのもので、あの事件について少し詳しい奴がいると紹介された人物がその人だ。
 所謂闇稼業の人間なのだろうと察する彼女に、どうして話す気になったのかと問えば親指と人差し指で円を作る。いくら払ったのだろう。
「多分大まかには、あんたたちが屋敷で見た通りよ。そして私の前で、事態をどうにかしたかったらしい男が死んだ。とんだ詐欺男がね」
「そのにせ咲もここに来たわ。 顔は私が見た死体と瓜二つ」
「まあ、腕が変形したりするもんだからロクでもないもんだと思うけどね」
「アレを作るために女ばっかり買ってたのだとしたら、吐き気がするわ」
 嘲笑するように彼女は吐き捨てた。次々と飛んでくる当時の愚痴と彼女の所業に、些かユルすぎやしないだろうかと冷や汗をかく。楽満さんはやはりにこにこと笑って話を聞いていた。
 詳細を語る彼女の口から出る、おれの中の登場人物は姉さんと樋井生月しか存在せず、おれや楽満さんのことは一辺たりとも出ない。ああやはり姉さんはあの日確かに死んだのだと、落胆と安堵を漏らす。
 人間が蘇るだなんて、ありはしないのだ。
 一瞬でも期待なんて持たなければ良かった。

 

「それで、結局咲は?」
「さあ? それ以降会ってないわ。 まあ生きてても困るけど。気持ち悪いし」
「気持ち悪い」
「あんたはそう思わないの? だとしたらイカれてるわよ」
「いや、 ……おれもそう思う」

 

「おれのことを、沢山可愛がってくれたから」

 

 それまで愉快気に話していた彼女の表情が、露骨に歪む。不快だと顔に書いて、口から紫煙をたっぷりと吐き出す。それはおれの顔めがけて飛んできて、あまりの強さに噎せ返る。
 けれどおれは、姉さんの死体の行方を辿る中、初めて同意を得られたからか、不思議と気分はそこまで悪くなかった。
 しかし彼女の機嫌は損ねたことに変わりなく、話はそこで打ち切られる。もう少し聞きたかったおれに対し、楽満さんはおれと彼女の間を取り持ちその場を後にした。

 

 姉さんの遺体が行きついた先の推測は、これである程度できると思う。ただそれより前のことは分からないことが増えた。
 楽満さんは何も話さない。姉さんとはある程度親しくしていたから、知っているんだろうけれど。
 その代わりというのだろうか、数日後楽満さんはおれの所へ一枚の油絵を持ってきた。描かれているのは澄ました顔の姉さんだが、現在の彼の絵柄より下手だと思う。
「最初に描いた咲だ」
 そう言って置いて行かれた姉さんの絵画は、おれの部屋に置いてある。たまに絵の前に水の入ったコップや、家に届いたお中元を供えてみたりする。
 絵画の影になる場所には、姉さんの使っていた手帳を隠す。

 

 未だそれを、おれは全て読めてはいない。