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TRPG関連のお話

CoC:陸守陽日のその後

弟といっしょ

 

プレイシナリオ:砂糖菓子七つ

 

 僕の兄は警察のそれなりにいい役職に就いてます。本当は今後もっと出世できるけど、もうしたくないんだそうです。僕にはよく分かりません。だって兄は異常な程勉強家でしたから、正直僕の理解の範疇からは外れるんです。
 先日、その兄と食事をしてきました。僕は実家暮らしで、兄は一人暮らしなので同じ食卓を囲むのはしばらくぶりでした。大体兄が全額負担します。いい加減その金をプラモと身内以外に使って欲しいものです。もっとこう、意中の女性とか、交友関係とかに。僕が言えたことではないのかもしれませんが。
 兄の顔はどこか疲れていました。先日、無人島へ旅行に行ったそうです。もう離島旅行は懲り懲りだと首を振っていました。あまり楽しいものではなかったようです。僕は兄のことが嫌いではありませんが、可哀想にとも思いませんでした。
 食事はパスタでした。僕はボンゴレ、兄は生ハムのペペロンチーノを頼んで、生ハムだけを食べて僕にペペロンチーノを寄越しました。正直腹が立ったのでビンタしました。その時の目が、少し怖かったです。視線は明らかに僕に向けられているのに、見ているものはもっと遠くにあるような気がしました。でも寄越された生ハム抜きのペペロンチーノを見たら、やっぱり腹が立ちました。
 兄は僕に問いました。『死ぬのは怖い?』と訊いてきました。

「僕は一度擬似的に失明しました。あれは怖かったですね」
「質問の答えになってないよ」
「だって死に瀕したことがありませんから。類似したパターンしか提供できません」
「まあ僕も分からないんだけどね」

 いつにも増して、何を考えてるんだかわからない笑顔でした。
 僕はこの笑顔が好きではありません。兄がこう笑う時、大抵はいいことがないからです。兄は何も言及しませんが、きっと今回もそうなのでしょう。僕は溜息を吐きました。兄は笑うだけでした。
 僕が機嫌を少し損ねたことも、兄は分かっているはずなのに素知らぬふりをしてプロシュートを注文しました。最初からそっちを頼めばいいのに。あと血管縮みそう。
 ボンゴレからペペロンチーノにフォークを移す頃には、量がメニュー写真の5倍はありそうなプロシュートがテーブルに運ばれてきました。僕は兄がプロシュート、もとい生ハムをこんなに好んでいた記憶はありません。何の気なしに一枚摘もうとする手を掴んで、僕は問いました。

「塩分過多にも程がありません?」
「でも僕、これしか食べられるものがないんだ」
「さっきペペロンチーノ頼んだのに??」
「本当はもっと別のものが食べたい。でもこのお店には置いてないし、お前をそんなお店には連れていけない」

 何があってもけろりとしていた兄が見せた目は、どろりと汚泥の溜まった様相でした。

「……そういえばね、一緒に旅行した女性にお前と一緒の名前の子がいたんだ。彼女はその子をかなり可愛がっていたみたいでね、僕は話しかけなかったけど、少しだけ、いいなあって思ったんだ」
「でもね、その子事故で旦那と一緒に死んでしまったんだって。彼女だけが、生き残ってしまったんだって」
「これは彼女本人から聞いたことじゃないんだ。僕が日記を覗いてしまって、……」
「…………理不尽に抗うには、手段を問わなくても構わないと思うかい、水月

 兄は一筋涙を零しました。
 僕の覚えている限り、人生で初めて見せたものでした。
 掴んでいた手が、だらりと力を抜きました。

「刑事を辞めたいと思ったのは初めてだった。無力さを実感したのも初めてだった。でもできないんだ。何も知らないふりをして生きていかなければならない」
「……」
「弟であるお前にならこの重荷を少しは預けられるかと思った。でもそれもできなかった」

 僕には終ぞ、兄がどんな事象を見たか語られることはないのでしょう。兄の唇は震えていました。
 出来ることといえば、静かに項垂れる兄を見つめるだけでした。良く似た風体をしていて、全く違う人間が語る言葉を、ひたすら聞くことだけでした。
 兄の語る言葉は断片的でした。彼女、認めてはならないこと、彼、無力感。僕は兄の言葉のパズルを解くことはしませんでした。涙は最初の一筋以来、流されることはありませんでした。
 ウエイターがそっと白ワインを二つ置いていきました。兄の旅行の断片は、僕にしか聞こえない声で溢れていきます。こういう時だけ、兄はこれでも僕に心を許しているんだな、とぼんやり思います。何でも器用にする人だったので、少々驚きましたが、ただただ聞きました。きっとそれが、僕と食事をする理由だと思ったからです。
 やがて声は止みました。

「落ち着きました?」
「うん、大分ね。やっぱりガス抜きは大事だね、もう少し器用でいられればいいんだけど」
「案外頑張り屋ですもんね、陽日」
「言うなあ、僕のキャラが崩れちゃうからその表現は嫌なんだけど」
「はいはい秀才でいいですか」
「宜しい」

 兄の笑顔は、何処かスカした腹立たしいものになっていました。