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TRPG関連のお話

CoC:江崎結理のその後

いつも通り

シナリオ:スワンプマンは誰だ?

 

 

 もう梅雨がすたこら逃げてって、夏が来たから日照りが強い。しかし夏バテがやってきたのはどうも暑さだけではないらしい。朝食が底から込み上げて来そうになる。
 この時扉を開けない理由なんてなかったが、開けなければ良かったと後に江崎結理は夜な夜な壁に訴えている。

 扉を開いた瞬間、何故かあの悪臭が部屋の中に雪崩れ込んでくる。
 目の前にあったのは紛れもなくあの地下室に溢れかえっていた肉塊そのものだった。これまでに嗅いだどの悪臭とも形容し難い臭いをさせて、臙脂色の身体から濁った体液を滴らせ、どくりどくりと脈動している。
 ただそれは地下にいたものよりも大きく、人の形を留めており、伸ばされた触手には玉西瓜の入ったレジ袋が引っかかっている。差し出されているらしい。
 結理はそれが近所のおばさんであることを瞬時に理解した。
「おば、さ、ん?」
「ユ…理"ヂャ、ん、ズイ、か」
 顔らしき部分がぐちゃぐちゃと蠢き、声帯に似せて作られた器官による振動で細かく震えている。結理にはその部分が口なのだと冷静に判断することができた。
 ただ冷静に判断することができたからといって冷静な状態でいられたわけではなく、結理は近くに置いてある靴ベラを手に取った。客の質はまちまちだというのに、その靴ベラは少し高級そうに見える。
 それを肉塊の上に振り下ろす。
「ァ"」
 面が縦になるようにして包丁でも振り下ろすようにする。
 その肉塊を上から割るように振り下ろす。
 振り下ろす。
 振り下ろす。
 振り下ろす。
 振り下ろす。
 振り下ろす。

 粘着質な音が玄関に響き渡り、ぐちゃりぐちゃりと血のような色の粘液を噴き出したが、結理には樋井咲のような腕力がないからか肉塊が潰れ切り動かなくなる様子はない。時折結理を捕食しようとしているのか大口を開けるが、せいぜい靴ベラを持つ手を覆うくらいでまた靴ベラに身体を割られる。
 何回やろうと死なない化け物に、結理は『気が狂ったかのように』靴ベラを振り上げ続けた。
 化け物は「痛い」だとか「結理ちゃんどうしたの」だとか、辛うじてそう聞こえる内容の文章を声帯に似た器官で鳴らしている。その言葉の端々にぶじゅぶじゅと湿った音を混じらせるのが結理の恐怖心を煽った。
「ボクはボクであらねばならない。ボクじゃないボクが居ては世界が回らなくなる。ボクの周囲は何事もなく平和で楽しい所じゃないとダメなんだよ。だから」
 痙攣する肉塊をよそにリビングに戻り、普段使っている鞄の中からスタンガンを取り出す。
 出力を最大に上げておく。
 玄関に戻る。
 鈍い衝撃音とバチバチ鳴る電気の音。肉塊の含む水分のようなものが泡立ち蒸発しぶちぶちと下品な音を立てる。何度も声帯は作られ泡になる。
 何度もそれで肉塊を殴った。
 悲鳴が聞き取れなくなるまで。声帯が作れなくなるまで。水分が泡を立てなくなるまで。肉塊が蠢くことさえ叶わなくなるまで、何度も繰り返して。
 その行為は間違いなく殺意に満ちていた。何らかの生命体を殺そうと行為をしていた。
 その音だけが玄関に木霊していた。
 
 
 
 
 
「ボクが覚えてるのはそれだけ。あれが何なのか説明したっていいけど、どうせ君たちには理解し得ない。ボクだって理解はしたくなかった」
 結理はいつもの無邪気そうな、子どもめいた笑みで答えた。
 彼女の主治医と姉は信じられないような顔をして見合わせる。それが結理の話すことに対してなのか、彼女の様子に対してなのかはわからない。
 
 全国的に盛華市のことが報道されたその日、江崎結理は自ら精神科の受診を希望した。その時も普段の彼女と変わった点は見受けられなかったが、本人の希望だったのでとりあえず心療内科を受診させた。恐慌状態であることは確かだ、と数日後彼女の姉に知らされた。
 曰く、『ボクはボクである必要がある。ボクの世界が正しくあるために』。彼女は目の前に誰かが立っているその瞬間は、決してその醜態とも呼べる状態を晒すことはなかった。
 その事実を理解したのは結理の寝室を見てからである。
 壁には本人の血らしいものと打撃痕、割れた瓶や窓ガラス。深夜呻く声が聞こえたという噂。本人の手に巻かれた包帯。
 以前の彼女ではあり得ないことだ。これらを精神科医は『恐慌状態による逃避行為』としたのである。
 
 そんな状態での仕事はそのうちボロが出る、と勿論主治医は反対した。しかし、「ボクがこうなってしまったことなんて、知られたくないじゃないか」と結理は言った。実際彼女の業務は何の滞りもなく行われている。
 止めることはできなかった。今日も結理は仕事へ行く。
「今日は嵐澤様のところに行くことになっているよ。 大丈夫だお医者様、今は新しい依頼を受注する気もないから」
 もう少し安静にしていれば彼女の恐慌は早く収まるのだと説得する気にも、精神科医はなれなかった。
「それとねお医者様、近いうちに一時帰宅がしたいんだ。みんなでスイカを食べようと思ってる」
 こうして楽しそうに仕事や外出の予定を話す結理を止めるのは、それこそ回復の妨げになるのではないかとも考える。そう思って何回も外出を見ないふりにしている。
 さっさと仕事着と称しているカジュアルスーツに身を包んだ結理は、診察室のドアを開いていた。
 
「蟻川さん、なんで返事返してくれないんだろな」
 結理はスマートフォンの画面を見ながら、退出際にそう呟く。